誰と、名乗るほどの者ではございません。
その子どもの名前は「少年A」ということで充分でございます。
人は生涯に、ひとりぽつねんと宇宙に自分しかいないような孤独感に襲われる時がございます。
群衆の中におりましても、喧騒の中におりましても、友人たちの中におりましも、
ひたひたと孤独の波が襲い来て、<魔のホール>とも呼ぶべき穴に落ち込んでしまいます。
ヒビ割れた時の隙間を覗き込んで見ましても、闇ばかり、
救われようのない腹立たしい瞬間でございます。
少年Aも、この物語の最後にはそんな思いにとらわれた子どもの一人かも知れません。
そもそも、慣れというものは頭を使わなくてすみますし、
肩に力を入れなくともよく、不精者には都合のいいものでございます。
それだけに、危険だといえば危険だと言えましょう。
神経が居眠りをしてしまいまして、
見ていなければならないものまで見ず仕舞いになることがあるようでございます。
あの日、アメリカ空軍の爆撃機B29がまるで子持ちシシャモのように
爆弾やら焼夷弾やらをその腹いっぱいにかかえ込んで、
いまにもこぼしそうになりながら
日本軍のチェックなしに豊後水道を北上し、
私共県民の頭上をゆうゆうと通過しましても、
それが日常茶飯ともなりますと少年は恐怖を感じることもありませんでした。
夕日に照らされて金色に輝き、東の空に向けて飛んで行きます、
人殺し用の機械を頭上高く高くに見上げながら、
「きれいなものだなあ。芸術みたいだなあ」と、少年Aは思いました。
技術もとぎすまされますとそれはもう芸術にも属しまして、
見る者に感動をさえ与えるようでございます。
それが殺人と破壊のための機械とは、なんとも皮肉なことではございませんか。
人間の闇の部分の象徴を見る思いすらいたします。
それは昭和19年、終戦の前の年でした。
国民の殆どは、翌年に戦争が終わるなどとはだれも気付いてはおりませんでした。
しかも日本が負けて終わるとは……。
それというのも日本という国は、世界でただ一つ神様が
その剣の先から雫をたらしてお作りになった神の国列島でございまして、
万が一にも日本が戦争に負けそうになりましたときには
天照大神をはじめもろもろの神様が
それはそれは激しい暴風雨「神風」を起こされまして
連合国軍の飛行機も軍艦も兵隊も
みんな吹き飛ばし、打ち沈め、バラバラにして
太平洋の海の藻屑として葬って下さいますと、
誰もが固く信じて疑わなかったのでした。
学校でも子どもたちにこのように教えておりまして、
稚いといえばひどく稚かったものとあきれるばかりでございます。
誰もがそう申しますとそれこそが真実ということになり、
他を押しのけて世の中を闊歩いたします。
いつの世でも、そのようなことなのかも知れません。
その結果を受けて泣く者、笑う者、立ち上がる者立ち上がれなくなる者、
ときには人生を失う者もあるかも知れず、
まったく気をつけなければならないことと存じます。
あれもそこらじゅうにたくさん転がっている
誤った「宗教」の一種だったのかも知れません。
一人の人間を神と崇め奉りまして、本物の神様、
もしもおいでになるようでしたら申し訳のないことではございます。
四つ辻の北東の角の赤井さんのお宅の庭に赤いグミの実がなり、
近所の子供たちの注目を集めておりました。
さすがに赤井さんのお宅の庭に忍び込んでグミの実を盗むのは、
腕白坊主たちも気がひける様子で
グミの実を横目で見やりながら、カクレンボやカンケリ、
駆逐水雷という、当時の大本営が考案したようなオニゴッコまがいの遊びに興じておりました。
少年Aの遊び仲間に西田という同じクラスの子どもがおりまして、
この子はいつも、小水をしたくなりますと所かまわず立ち小便をする子どもでございました。
我慢をするということをほとんど知らない子どもでした。
世の中では、こういう子どもを「育ちが悪い」と申しますが、
本当に「育ち」のせいなのか、
生まれつきのDNAのせいなのかはっきり致しません。
ある日カンケリのさいちゅうに、
とうとう西田がやはり我慢できなくなったのでしょうか、
スルスルと赤井さんのお宅の生け垣をかいくぐって庭に入り込み、
一直線にグミの木へと走ったのでございます。
まるで山腹を走るイノシシのようでした。
瞬時に10個ほどのグミの実をちぎり取って、
再び道路へ飛び出してまいったのでございます。アッという間の出来事でした。
盗みをはたらいたにしましても
西田は手にグミの実を握っております。
私共のおとな社会でも、こういう者が英雄になることがしばしばあるように見受けられます。
いいも悪いもございません。
とにかくグミの実を手中に握っております。
カンケリの子どもらはカンを放うり出して、
ワッと、西田に駆け寄りました。
「くれ!西田」「くれ!」「くれ!」「オレにくれ!」
腕白坊主たちの声が重なり合い、手が伸びました。
「アカン!」西田が背を向けました。次の瞬間、
「キャッ!」「ワーッ!」と叫んで子どもたちは西田から飛びのいたのでございます。
西田の背中に、それはそれは大きな金色のケムシが一匹しがみついておりました。
グミの実と抱き合わせにもらったのかも知れません。
腕白坊主たちも、これはたまりません。
もともと少年Aが第二次世界大戦・大東亜戦争を意識しましたのは、
少年のお兄ちゃんが
友達と一緒に田んぼにカエルを捕りに出かけた時にはじまります。
用意して持って行った空きビンも網もなくしたまま、
お兄ちゃんは血相変えて家へ逃げ帰ってまいりました。
ご機嫌で出かけていったカエル捕りでしたのに、
一体どうしたのかと尋ねましたところ、
「ダグラスや! 間違いない! あれはホンマモンのダグラスや!」
神戸一中に通うしっかり者のお兄ちゃんが今にも泣き出しそうに叫んだのでございます。
絵本では何度も見たことのあるアメリカの軍用機の
ホンモノをお兄ちゃんは田んぼの空に目撃したのでした。
いつも頼りにし、尊敬もしているお兄ちゃんがこんなにも狼狽しているのだから、
これはきっと大事件なのに違いないと、少年Aは思いました。
つるべ落としのようにといいますか、
今風に申しますとバンジージャンプのようにと言いますか、
あの日のあの瞬間から、日本は第2次世界大戦・大東亜戦争の深みへと
急転直下、真っ逆さまに落下してまいったのでございます。
主食品は配給制度になり、
夜は灯火管制で、部屋の電灯の周りを黒い布で囲い
光がアメリカの飛行機から見えないようにしなければなりませんでした。
こんなことでは、家庭の団らんも陰気くさくなるし、
予習・復習の勉強どころではないと、
お兄ちゃんも少年Aも親もあきらめてしまいました。
お父さんは名古屋に単身赴任しまして、もう2年近くになります。
カンカン、コンコロロン! カンカン、コンコロロン!
若い頃、女学校でキリスト教教育を受けた少年の母親は
細く白い腕で汗をふきふき雑炊を炊く薪を日がな割り続けておりました。
二人の育ち盛りの男の子にひもじい思いをさせてたまるか!
という怨念から出たパワーのようでございました。
きっと、第2次世界大戦め! アメリカめ! と、
心の奥で叫んでいたに相違ありません。
しかし育ちがいいから、黙って、黙って、品よく薪を割り続けました。
こんな時代には、品がいいなどというものはなんの役にも立ちません。
バイタリティーばかりが重宝がられる、野蛮な世界でございます。
とはいえ、下品が急に上品になれないように、
上品が急に下品にもなれないのでございます。具合の悪いことです。
……カンカン、コンコロロン! カンカン、コンコロロン!
お母さんのそんな姿を縁先で見ていた少年Aは、歩み寄って言いました。
「ぼく、手伝う。斧貸して」
「だめです! 7歳の子どものすることではありません」
とお母さんは断られました。
「これは、親の仕事です。子どもは外で元気よく遊んでいらっしゃい」
その日の夕食は、20%の米と80%の麦ごはんでした。
しかし、ごはんの上にはうなぎの蒲焼きが乗っかっておりました。
それに、みそ汁までついています。こんなご馳走は何年ぶりのことでしょう。
ハシをにぎった少年Aの目は輝きました。
「和歌山のおばあさまがね、ウナギなんぞこの時代には食べられないでしょう。
ばあちゃんは、戦争前に食べたからもういい、
みんなで食べてちょうだいって、持って来られたの……」
少年Aにお母さんは尋ねました。
「どう? おいしい?」
「おいしい」と少年は頷き、にっこりとほほえみました。
お母さんは自分の茶碗の蒲焼きを一切れ、お兄ちゃんの茶碗に移し、
もう一切れを少年Aの茶碗に乗せてやさしく「お食べなさい」
とほほえまれました。
お母さんの茶碗に、ウナギはいなくなってしまったのでございます。
お母さんは台所に立って、小皿に入ったダシガラのイリコを取ってきて
うなぎのいなくなった麦ごはんの上に乗せ、
サッと醤油をブッかけられたのでございます。
お母さんは、再び二人の男の子を見やって、
やさしゅうに、美しゅうに、ほほえまれました。
「母さんも神様や」と少年Aは思いました。「神様でなければこんなことはせん」
ですから、少年は神様の言うことならなんでもよく聞き分けたものでした。
神様はときどき、少年Aにおっしゃいました。
「学校に行けば、先生のおっしゃることはよくお聞きなさい。
先生は間違ったことはおっしゃらないのですから。
先生は学校でのお父さん、お母さんですよ」
「それなら」と少年Aは心の奥の奥で思いました。
「先生も、ぼくの神様なんや。母さんと、
先生と、それに天照御大神と、天皇陛下、4人の神様がいるわけや。
大勢いるに越したことはないやろう」
昭和20年の正月が来て、
子どもらは凧作って、凧揚げて、正月が終わって、
3学期が始まる頃本土空襲は頻繁になり、
「欲しがりません、勝つまでは!」のポスターが
街頭や駅々のプラットホームに貼り出されたのでございます。
灯火管制、隣組単位の防空訓練・竹槍訓練がたびたび行われ、
学校の校庭に、家々の庭に、空き地には
本土空襲にそなえて大きな防空壕が掘られてゆきました。
少年Aの仲間たちは川土手を耕して畑を作り、大根とカボチャを育て、
線路土手にのぼりスズメエンドウを摘んで干し、
代用お茶を作ったりしました。
動物園の猛獣や大型動物は毒殺・射殺されて、または絞殺され、
動物園は閉鎖されてしまったのでございます。
少年Aは国民学校の3年生に進級し、
再び赤井さんのお宅の庭にグミの実がなって、
子どもたちはいったん四つ角に集合して
全員そろってから集団登校をするようになっておりました。
班長・副班長を先頭に2列に並んで学校に向かうのですが、
そんなある日、校門の近くまでたどりついたときのことでした。
突然西田が叫んだのでございます。
「しまった! 四つ角にカバン忘れて来た!」
「バカもん! 何しとるんじゃ。
それじゃあ、鉄砲を忘れた兵隊さんと一緒や!」と、
班長の錦織さんが言いました。
「走って取って来い! 時間がないからオレたちは先に行くぞ!」
西田は駆け出して、振り向かず、
「了解!」と叫びました。これが西田の最後の言葉でした。
副班長のシンちゃんが、「ぼくも、一緒に行ってやる!」と言って、
西田のあとを追い駆けたのでございます。
西田がいま来たばかりの『お願い橋』を渡ろうとしたとき、
突然、飛行機の爆音が川下の方から聞こえてきまして、
班長の錦織さんが、「みんな伏せろ! グラマンや!」とカン高く叫びました。
少年Aが振り返るとグラマン戦闘機の操縦席に
アメリカ兵の白い顔が目視できました。
みんな道路下の草むらに、転げるように伏せました。
聞いたこともない大きな爆音が、
川沿いに下から上へと、地震のように大地を揺るがして通過してゆきました。
少年Aはしばらく恐怖で起き上がることができず、
むせかえるような草の匂いを嗅いでおりました。
女の子たちの泣く声があちこちから聞こえてまいりました。
「何が悲しいかと申しまして、
罪なく殺された子どもこそが悲しゅうございます」
国民学校の西田の担任桃井清子先生の弔辞の言葉です。
ちょうど、『お願い橋』を渡っていた西田は
グラマン戦闘機の機銃掃射の弾を頭に受けて即死。
副班長のシンちゃんは1発おなかを撃たれて病院に運ばれましたが、
夕方になってあえなく亡くなったということでした。
「何が悲しいかと申しまして、
罪なく殺された子どもこそが悲しゅうございます」
担任の桃井先生は、お葬式で、また、職員室で、自宅で、
朝から晩まで食事もしないで泣きどおしだったそうです。
5日後に再び教壇に立った先生は、
「先生がこんなことを言ってはいけませんが、
もう先生は授業をしたくありません」と言いました。
「気まぐれとしか思いようのない、敵の1発の弾丸で、
西田君の命も未来も夢もすべてが終わってしまいました。
西田君が1年生のときから5日前まで、
先生が一生懸命に教えてきたことは全部消えてしまいました。
こんな時代に何をどう教えればいいのか、
先生にはもう分からなくなりました。
1発の鉄の弾の方が、先生より偉いのです。
暴力や物が、命や心を支配する世の中はいい世の中だとは思えません。
人間にふさわしい世の中ではないと思います。
けだものの世界です。けだものの世界です。
西田君のいたずらも笑顔も、もう見ることはできません。
先生はくやしいです。
しかし、先生の敵はあまりにも大きくて
先生はあまりに小さくて、
よい子のみなさんたちに何を教えたらいいか分かりません」
それから、突然先生は教壇をおり床に正座をして、
泣きながら生徒に両手をついて頭を下げられました。
「ごめんなさいね! 西田君、それからみなさん、
ごめんなさいね!ごめんなさいね! こんな先生で………」
のどを詰まらせながら、額を床板にすりつけて謝り続けられたのでございます。
「残ったぼくたち48人がおる!
48人の頭とこころの中に、先生の熱心とやさしさはまだ生きとる!」
あの時、誰か一人でもそう言ってあげたら少しは先生の慰めになったのかも知れません。
「ぼくたちに、わたしたちに、
先生の熱心とやさしい心をもっともっと頂戴!」と……
しかし、国民学校の3年では無理でした。
みんな半分分かって、半分訳が分からないまま黙って座っておりました。
8月15日の正午から昭和天皇の玉音放送がありまして、
近所の電気屋さんの前は大変な人だかりでした。
家にラジオがないひとたちが大勢集まってきて、正午を待ったのでございます。
電波の具合が悪いのでしょうか、受信機が古いのでしょうか、
とにかく聞き取りにくい玉音放送でした。
奈落の底から聞こえてくるような、天皇陛下のお声でした。
少年Aには天皇陛下が何をしゃべっておられるのか
さっぱり分かりませんでしたが、やがて、
「えらいことや。日本が負けた」
「戦争は終わりや」という声が人混みの中から起こりまして、
少年Aはあわてて家に駆け戻り、台所に立ったお母さんに告げたのでございました。
「母ちゃん、日本が戦争に負けたらしいわ。どうしてなん?
天照大御神は、何をしとったんや!
ひょっとしたら、そんなもんおらへんかったんと違うか?!」
お母さんは声をひそめて言いました。
「そんなことはありません。いまは黙っていなさい」
「そやけど、みんな日本が負けたと言うてたよ」
お母さんは背を向けたまま、黙っておられました。
マナ板のキュウリをきざむ手が止まってしまい、
お母さんはじっと、じっと、泣いているようでした。
第2次世界大戦に無条件降伏をして、アメリカ軍が進駐をしてきて、
突然戦争を起こしたのは東条英機だと
アメリカ軍と日本国中をあげての大合唱となり、
東条英機を極悪人なんだと少年Aは思い込みました。
彼が成人して後に思ったことですが、
東条英機は恰好の一般国民のスケープゴートとして血祭りにあげられ、
それをもって国民の多くは自己の責任の不在を弁証しようとしたのではないか。
そうだとしたら、歴史というものは時の力の都合で決定され、
残されていくものかも知れないと、
少年Aはのちになって疑い深く思えたのでございました。
それというのも、お母さんが言ったこの言葉を
少年Aが覚えていたことの影響が大きいと思われます。
「あの戦争はね、殆どの日本国民が賛成だったと思いますよ。
だって、12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃して
アメリカ海軍に大打撃を与えたというニュースを聞いたとき、
よくぞやってくれた! と
殆どの国民が手を打って飛び上がるように喜んだのですもの。
いまになって東条さん一人を責め立てるのは不思議な気がしますね。
お母さんにだって、1億分の1の責任があると思っていますよ。
先頭には立たなくても、追随した責任だってあると思います」
西田が射殺され、日本が敗戦しました。
広島、長崎にコワーイ新型爆弾、原子爆弾が投下され、
東京が焼け野原になったのだということを
少年はあとになって聞かされました。
それから、少年の身の上にも悲しいことは
黒い鳥群のように続けざまにやってまいったのでございます。
少年Aのお母さんが倒れられました。
井戸端で洗濯をして、洗濯物を軒下に干そうと背伸びをしたとたん、
立ちくらみがして庭に落ち、飛び石で頭を強く打ったのでございます。
「ちょっと横になれば大丈夫。心配しなくていいですよ」と、
お母さんはやさしゅう子どもたちにおっしゃいました。
「起きたらすぐ夕食の用意にかかりますからね」
お母さんは、すぐに眠りにつかれました。
「起きたら夕食の用意をします」ともう一回おっしゃって、
そのまま、眠りにつかれました。永遠の眠りにつかれたのでございます。
脳挫傷だろうという、近所の医者の事後診断でした。
ひどい栄養失調で足がふらつかれたのかも知れないと、
帰り際に医者が付け加えました。
少年にとっての一番身近な神様が、いなくなってしまいました。
お母さんは焼却場の煙突から一筋の煙になって天に昇り、
また水蒸気になって地上に漂われたのでございます。
数日後、神戸のおばあさんがやって来て家の中の切り盛りをつづけました。
しかし少年は母がなつかしく、ときどきこんなことを考えたものです。
「ぼくがいま吸った空気の中に、
水蒸気になった母ちゃんが入っているかもしれない」
ちょうどそのころからでした。
少年Aの桃井学級にヘンな噂が立ち始めたのでございます。
「桃井先生いうたらな、ズッコイねんで! 昼の給食の始めにな、
自分が、さあお祈りをしましょう、と言うやろう。
オレらにな目を閉じて、手を合わせて、と言うやろう。
みんなが目をつぶっとるスキにな、
先生、給食のパン箱から給食のパンを1個盗んどるねんで!」
「ウソや!」少年Aは叫びました。
桃井先生がそんなことするはずがない、と少年は確信できました。
なんと言っても、桃井先生は神様の一人なのです。
「ホンマに盗んどるんやで!」ともう一人の男の子が叫びました。
「オレも見た、見たで!」
「ウソや!」少年Aはふたたび叫びました。
「ホンマやて。女子にかて、盗んだの見たもんおるねんで」
「ウソや! そんなんみんなウソや!
桃井先生がそんなことするはずがあらへん!」少年Aは三度叫びました。
「そんなこと言うんやったら、あしたの給食のときうす目開けて見たらええ。
たいてい盗むわ」と梅原が言います。
がさつなクラスメイトの言うことと桃井先生、
どちらを信じたらいいかといって、当然桃井先生だと少年Aは思いました。
少しでも疑ったら、桃井先生がけがれるわ。
翌日の給食の時間のはじめ、「さ、手を合わせ、目を閉じて下さい」と、
いつものとおりに桃井先生は言いました。
「全員しっかり目をつぶりましたか?」とつけ加えもしました。
先生の念押しの言葉に目を閉じていた少年Aの思いは、わずかぐらつきました。
しかし、自分が気を回し過ぎたに過ぎないと、気持ちを抑え、
目をつぶり続けました。もしも目を開けば、自分が先生を疑ったことになる。
少年はお母さんの言葉を胸に甦えらせておりました。
「先生のおっしゃることはよくお聞きなさい。
先生は間違ったことはおっしゃらないのですから。
先生は学校でのお父さん、お母さんです」
少年は、母の言葉を反芻しながら目を閉じておりました。
「な、オマエかて見たやろ! 先生、パン盗んだやろ?!」
給食が終わって、梅原が少年Aに近づいて言いました。
憮然として少年Aはこたえました。
「そんなもん見てへん!」
「なあ、先生、給食のパン盗んだよなあ」と、
梅原は他のクラスメイトたちに同調を求めます。
「給食のパン箱からパンを盗んで、
自分の机の引き出しにしもうたよなあ」
「うん、オレ見た。先生が自分の引き出しにパン入れるの見た」と、
一人の男子が言います。
「わたしは、目を閉じてたもん、そんなん見てへんよ」と、
女子の高橋さんは言いました。
それみろと、少年Aは心につぶやきます。
高橋さんも先生を信じることのできるきれいな心の持ち主だし、
ぼくの味方かも知れないと、温かい想いが少年の胸をうるおわせます。
高橋さんはクラスのがさつな女の子の中で、目が大きく活発で、
頭の回転の素早い、算数がよく出来る女の子でした。
そっと少年は高橋さんの方を振り向いてみました。
しかし、高橋さんの姿はありません。
幻のように高橋さんは消えていました。
昼の休み時間のため、女子は一人も教室にはいなく、
みんな校庭に出て遊んでいるようでした。
「あしたの給食はゴハンやから、先生盗まれへんで。
今度の泥棒はあさっての金曜やな!」と、梅原が自信満々に言います。
ひどいことを言う奴だと、少年Aは腹が立ちました。
「先生のこと、なんでそんなに悪う言うんや!」
「そら、泥棒するからや」
「してへん」
「した」
「してえへん」
「した」
とうとうケンカになってしまいました。
「そんなら、先生の机の引き出し、開けてみたらええ」
梅原の提案で、二人は教壇の脇にある先生の机に近づきました。
「オマエ、あけてみい」と梅原が言います。
「いやや」
「そんならオレが…」と梅原が言いましたが、
引き出しにはカギが掛けられていて開きません。
「先生、バレんようにカギ掛けとるわ」
「そんなことあらへん!」
「オマエも、しぶとい奴やなあ」と言って、
梅原は引き出しのすきまに鼻を当てて、
「パンのにおいしとる! おまえも匂いかいでみい」と言って
教室を出ていってしまいました。
教室に一人残った少年Aは、なんとしても先生の潔白を証明したい一念でした。
お母さんは死んだ。天照大神はおらんようや。天皇陛下は人間やったというやないか。
4人の神さんのうち3人が死んで、
心の着衣を一枚一枚はぎ取っていかれ残っているのは、
桃井先生一人だけ。
それが今、泥棒呼ばわりされているわけです。
他の者がどう考えているかはもうどうでもよいのでした。
なんとしても、少年自身のために桃井先生は潔白でなければならないというわけです。
とうとう少年Aは金曜日の給食の時間、
祈りの最中にうす目を開いて、先生をうかがってしまいました。
まず見ないことには潔白の証明のしようもないと、せっぱ詰まった思いからでした。
「さあ、しっかりと目をつぶりましょう!」
桃井先生は言って、サッとパン箱から残ったパンを1個取り出し
子どもたちに背中を向けた卑屈な姿勢で、机の引き出しにしまいました。
タイミングが遅れたのか、先生が引き出しにカギを掛けた様子はありません。
それはわずか数秒の出来事でしたが、
少年Aには長い長いスローモーション映像のように見えました。
また一人神様が死んだ瞬間でもありました。
昼食後、少年Aは誰もいなくなった教室の先生の引き出しからパンを盗んだのでした。
パンは純白のハンカチにくるまれ、白く粉をふいておりました。
それを、とりあえず自分のカバンに隠して、何食わぬ顔で午後の授業を受けたのです。
そして授業が終わって、桃井先生は、突然言いました。
「みなさん、カバンの中のもの、机の中のものを全部机の上にお出しなさい!」
先生は一人一人の机の上を見て歩き、
空のカバンの中を押し開いてのぞき込みました。
全部調べ終わって、先生は少年Aに向かって言いました。
「あなたは図工室まで来なさい。あとの人は掃除をして帰っていいです」
見つかってしまったと、少年Aは覚悟を決めました。
「あなたが盗んだものをお返しなさい」桃井先生は手を出して言います。
「…………………」
先生は勝手なことを言っている、少年はそう思いました。
しかし、何をどう説明したらよいのかよく分からず、
少年Aは黙ったままつっ立っておりました。
中庭に降り注ぐ初夏の陽の光の中に咲くカンナの激しい黄の色を
ジッと見つめていたのでございます。
先生はくり返します。
「あなたが盗んだものをお返しなさい」
「…………………」
「あなたが盗んだものをお返しなさい」三度目、
語気を荒げて桃井先生が言いました。
「先生が先や…」
少年Aは小さくつぶやいて、カバンをひっつかんで教室を駆け出しました。
校門を駆け抜け、『お願い橋』を渡り、自宅へと向かっていました。
「母ちゃん、天照大御神、天皇陛下、桃井先生、なあ誰かおらんのんか!」
「母ちゃん、天照大御神、天皇陛下、桃井先生、なあ誰かおらんのんか!
神さん、みんな死んでしもうたんかいな!」
少年は息を切って駆けながらつぶやいていたのでございます。
少年Aは自宅近くまでもどりましたが、自宅の門のあたりを伺っただけで、
家の裏を流れるドブ川に向かいました。
ドブ川のほとりにひとり足を垂らして腰を掛け、
カバンから盗んだパンを取り出します。
少年はしばらくパンを見つめておりました。
が、そのとき、突然腹の底が「クーッ」と鳴ったのでございます。
彼はパンをむしって、口にねじ込みました。
もう一カケむしって食べましたが、三回目をむしりかけて彼の手が止まりました。
そして、残ったパンをドブ川の対岸の石垣に向けて、
力一杯投げつけたのでございます。
パンは無造作に跳ね返って黒く流れるドブ川に落ち、
ゆっくりと、ゆっくりと、川下へ流れ下って行きました。
流れて行く給食のパンは、二人のドロボウたちの罪を背負い込んで、
まるで燈明流しの舟のように、
大きな海へ、大海へと流れて行ったわけでございます。
おそらく罪はその広い海に溶け、浄化されてまいったに違いありません。
全部食べたら単なる動物、イヌも同然だったのかも知れません。
桃井先生も少年Aも人間、流されたパンによって
人に踏みとどまり、償われたのでございましょう。
次の日少年Aは学校に登校して来ませんでした。
その次の日も……又、その次の日も………
それからあとのことは、よく分かりません。
桃井先生は、少年に登校するよう指導に出かけたのでしょうか。
分かりません。
大阪駅前のH百貨店の地下売場を
ランドセルを手にぶらさげて徘徊する男の子の姿が
大勢の売り子達や掃除のおばさんに目撃されましたとか……
誰か、桃井先生にも少年Aにも罪は無いことを、
伝えることが出来る者はいなかったのでございましょうか?
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